ハッピーライフ・セミナー
2008年 9月22日 ■Vol.16 *いばらの道【8】*バブリーな時代のOLからバブル崩壊OLへ〜3〜

株価も急落し、会社としても大変な時期でしたが、
はじめの頃は、これまでの取引を継続しながら、
更に新規ビジネスも積極的に仕掛ける毎日でした。

私はこれまでの仕事と、海外営業部長の秘書業務、
そして、「取り立て屋デビュー」までも・・・。

といっても、決して危ない仕事ではありません。(一応)
取引上、会社が立て替えた分、ちゃんと支払ってもらうよう
お願いすることでした。あちこち不良債権の山でしたから。

国内・国外いろいろな取引があったのに、私の担当は、
韓国の大手電機メーカーと南米の電機メーカー。
よりによって、なんでそんな担当なんだろう・・・・。

海外オフィスへ電話しても、
担当者が居留守をつかったり、
逆ギレされたり、罵られたリ、

対応はもちろん冷静に・・・!
でも、内心何度ぶち切れたことか・・・。

当時Eメールもありませんでしたので、
催促の連絡を何度も何度も、山のようにファックスで送ったり。

一社員の私がこんなことしていていも、効果あるのかしらん?
と思いながらも、取引契約書・未払いリストとにらめっこ
しながら、追いかける毎日でした。

一方で、例の役員による長〜い会議は
毎日続いていました。そのうちに、
人事部長も険しい顔で参加するように。

翌日数名が部長から呼ばれ、「トントン」と肩たたきを
されたのです。まるでドラマのワンシーンのように。

そうです、リストラがはじまったのでした。

「まっ、仕方ないよねー、A部長は・・・。」なんて言われたり、
「えっ、あのW部長までが・・・」ということも。

ご家族がいらっしゃるのに大変・・・・、と
明日は我が身かもしれないのに、
そんな心配をしていたものです。

例の長い会議がはじまると、
「次はどこの部署?」
「次は誰だろう・・・?」など
みんな不安にかられながら、
勝手な噂話をしてました。

幸いリストラにはなりませんでしたが、
部署から数名を失ったあと、彼らの仕事が
残っているメンバーへ振り分けられました。
そっちのボリュームが結構なものでした。

海外営業部のアシスタントとして入社した職場
でしたが、会社の状況が日々変化する中、
想像以上にいろいろな業務を任されることと
なっていました。

ある日、会社より「今後残業代は支払わない
(支払えない)」宣言がありました。

バブリーなOL時代には考えられないことでした。
残業代はしっかり支払われ、
19時までの残業は、夕食代として1,200円支給
21時までの残業は、夕食代として2,000円支給
23時までの残業は、タクシーチケットをゲット!
深夜残業の休憩時間でも残業代が出る仕組み。
記録達成時に配られるおこづかい(酒肴料)

「えっ、そうなんですか?!」
「えっ、いいんですか?!」の連発でした。

その他にも、
自動販売機のジュースは、全て10円。
毎月、月初にはケーキがでる。(なぜ?)
習い事をはじめると、毎月「習い事手当て」がでる。
(当時、ダメもとで申請した「ジムでのエアロビクス」にも
手当が出てました・・・。)

年2回の豪華社内旅行
年2回の豪華社内パーティ (「虎屋の羊羹」など、お土産つき)
年末全員に配られる数の子とかのお節土産(笑)

おまけに外食するときは、支払ったことがない。

今はと言えば・・・、
上記手当はまるでなし。
送別会や飲み会は、近場の居酒屋。
もちろん割り勘。二次会は近所のカラオケ・・・。

そして、今度は残業代がなくなるという。

もちろん、バブリーな時代と比較するのはおかしなことです。
正直、「あの時はよかったなぁー。」と思うことはありましたが、
そんなことが長く続くわけがありませんし、あの時は
世の中ちょっとおかしな時代でした。

それよりも、私の中で何かが「ぷつん!」と
切れた感じがしました。

会社が傾き大変な状況の中、自分なりにモチベーションを
保ちながら仕事をしていました。
どんな仕事にも前向きに、ひたすら一生懸命目の前の
仕事をこなしていました。

ただ、数年経つと、後ろ向きの仕事が中心になっていたのです。
どのようなことでも、どんな小さなことでも「仕事なんだ!」と
割り切っていましたが、

このままで果たして自分は成長できるのだろうか?
スキルが身に付くのだろうか?と

不安でいっぱいでした。
自分なりにいろいろ考えた末、
やはりこのままでは駄目だ、環境を変えなくては、と
「転職」することを決意。

翌日から、定時の18時には退社することに決めました。
毎日18時に退社し、次の就職に向け
自宅で毎日英語の勉強をしたり、
転職先リサーチの日々が

はじまりました。

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